2014年6月17日火曜日

DVDレビュー”Knowing The Score"

 ほんの気まぐれで図書館で手に取ったDVD。これがなかなか面白かった!
 Malcolm Bilsonというピリオド奏法のピアニストのコーネル大学でのレクチャーを収録した”Knowing The Score" というもの。
C.P.E.バッハやレオポルト・モーツァルトの演奏論を援用しながら、もともと楽譜の意味していたはずの約束が現代ではかなり変容していることを説明する。
 たとえば、ベートーヴェンのピアノソナタ第一番Op.2-1一楽章の冒頭のモティーフ「ド/ファラbドファ・・・」の「ファラbドファ」にはスタッカートが付いているのに「ド」には何も付いていないのは何故か。本来、弱起は「軽く、短くそして弱く演奏されるべきもの」なのでスタッカートは不要なのだと彼は説く。たしかに僕らもアウフタクトは軽くとは「知っては」いるが実際はどうだろう?実際にCDを聴き較べると、アラウやブレンデルを含むほとんどすべてのピアニストがこのアウフタクトをレガートで、場合によってテヌート付きで強調して演奏する。たしかに僕らも弱起は「軽く」とは知りながら「ほ/たーるの/ひかーり」の「ホ」はかなりネットリ歌ったりする。
 さらに、四分音符4つで「ドシラソ」という音符の上にスラーがかかった場合。我々は「音を切らずに滑らかにレガートで」と認識している。しかし、レオポルト・モーツァルトによればこれは驚くべきことに本来「ディミニュエンド」を表す、というのだ。二番目のシは最初のドより弱く、最後のソは4音中一番弱く短い。なるほど、たしかにこう考えるとフレーズ仕舞いの乱暴な演奏はなくなる。
この考え方で、例えばモーツァルトのピアノソナタK332ヘ長調の冒頭の解釈を考えると。有名な「ファーラ/ドーラ/シb−ソ/ファミミ・/」という奴である。ヘンレなどの原点版によればスラーはファーラ、ドーラ、シb−ソ、ファミの4つに分けてかけある。したがってここは繊細な強弱や音の長さのコントロールが要求される。
 ところが、、で、ある。日本で出回っている一般的な楽譜を含めて多くの版ではこの四小節間に通しでスラーがかけられる。これはあんまりだ。多くの指導者は初学者の演奏が「細切れ」=小節毎の小さなフレーズぶ閉じてフレーズ感の感じられない演奏になることを嫌う。その為にこうした校訂がされるのはわからないでもない。しかし、依然として作曲者の意図に不誠実である印象は拭えない。
 もちろんマルコム・ビルソン含め多くのピリオド奏法のピアニストが演奏に用いるのは現代のコンサートピアノではなくヒストリカルピアノであり、現代のピアノによる演奏が必ずしも作曲者の意図を100パーセント反映されたものにならないのはやむを得ない。しかしもともとの発想が4つに分かれたスラーで作曲者自身によって記譜され、さらにスラーの含有する意味合い(少なくともモーツァルトは父親レオポルトに厳しく叩き込まれた「その意味合いにおいて」スラーを用いているはず)を正確に理解した上での現代的なinterpretation(解釈)という意識で汎用されている楽譜を捉えている音楽家がどれほどいるだろう。
 ビルソンの講義はさらに付点リズムの長い音符と短い音符の比率や、3/2と3/4の違い、さらに声楽におけるポルタメントの扱いなど多岐にわたって続けられる。。面白いのは、ショパンなどの「テンポ・ルバート」は「右手のメロディーを左手の伴奏とはずらして演奏する」ことを要求したものだという。

 もともと、僕はピリオド奏法というものがあまり好きではない。以前もFacebookでロジャー・ノリントンの演奏をボロクソに貶したこともある。そもそも「伝統的慣習」を盾にした「音楽的でない演奏を」有り難がる風潮には辟易することが多い。しかし、西洋音楽の伝統的なシンタックスを熟知し作曲者の意図を正確に汲み取ることは大切なことと思う。その上で現代の楽器、現代の奏法や感性でどう表現するかは別の問題だ。
 そんな当たり前のことを、改めて考えさせられる興味深いプログラムだった。
プロアマ問わず多くの音楽家にとって視聴する価値のある良質なDVDである。

Amazonで購入出来るようだし、音大の図書館などには字幕付きのものも配架されている事と思う。

http://goo.gl/T6HCH7

下記クリップは冒頭近くのほんの一部
https://www.youtube.com/watch?v=az9NWZ2PGGg

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